造形インタラクティブとは

— 独自のインタラクティブアート理論に基づく造形理論の誕生 —

市川衛の造形芸術

1980年代半ばにインタラクティブアートを先駆的に始めた時から一貫して、私には独自のインタラクティブ・コミュニケーションへの強い思いと確信があった。インタラクティブ性の本質的な意味は機械系が外部情報を情報処理することではなく、人間の作品への主体的な関与や体験を通じて鑑賞者自らが創造行為や行動を企てる可能性を有する人間を主体としたコミュニケーションであると考えてきた。こうしたコンセプトを核としてインタラクティブアートの理論を『インタラクティブアート宣言』として1994年に発表し、四半世紀に及ぶ独自のインタラクティブアートの探究を続けてきた。

新たな表現の可能性を探求しようとする強い想いから、私の従来の作品制作はコンピュータやエレクトロニクスなどの最新テクノロジーを利用した視覚と聴覚が融合するインタラクティブ作品が中心であったが、ここ数年は作品形態にひろがりが生じてきた。インタラクティブなコミュニケーションとは鑑賞する個々の人間の中に生起する主体的な体験であるという考えを徹底すれば、コンピュータやセンサーなどのテクノロジーはひとつの表現手段に過ぎないのであって、必ずしも電子的・機械的なテクノロジーは必要条件ではない。そうした確信が自己の作品制作にも反映されるようになり、テクノロジーの力からアナログ的な造形の力をより多くコミュニケーションの手段として用いるようになっていった。

このような表現の進化の中で2007年からはインタラクティブ・コミュニケーションを造形的な力のみで可能とする純粋な造形作品の可能性を探求するようになった。作品というモノの中に美を閉じ込めたり完結させようとするという意識を捨て去り、鑑賞者が作品と継続する対話の中で生まれる体験や創造行為こそが真の作品となりうることを信じつつ、平面と立体の造形表現を探求した。そして、2009年には造形的手段のみによるインタラクティブ・コミュニケーションを行う造形インタラクティブというコンセプトにたどりついた。

鑑賞者という存在なしには成立することのない芸術とは、広い意味ではすべてインタラクティブアートだともいえるが、真のインタラクティブ・コミュニケーションに近づくためには、新たな美意識や表現手法が必要となるだろう。

芸術に限らず人間が見ている世界というものには「見えているものが見ているもののすべてではない」という真理がある。「見えるものの向こうにあるもの」を作品との対話を通じて個々人が感じ取るような体験が創造される世界を私は常に意識して制作してきた。

こうしたコンセプトの確立に最も参考となったのは日本文化の伝統であった。「茶の湯という芸術の本質が形のない『もてなしのこころ』にあること」「あるものから別のものを見て楽しむという日本独特の見立ての文化」「もののあわれを感じるアフォーダンスに敏感な日本人的感性」「自然や神と共生して生きる日本的生活様式」など枚挙にいとまがない。

優れた日本庭園が電子的テクノロジーなどを一切利用しなくとも、季節・風景・風土などと関連させながら緻密なコミュニケーションを成立させる場を提供していることを理解すれば、どんなコンピュータプログラムもかなわないインタラクティブな体験を可能にするプログラムがそこに組み込まれていることを発見するだろう。このように日本文化の伝統の深層にインタラクティブ文化が脈々と流れていることを私は確信した。

平面の造形表現では、インタラクティブ・コミュニケーションを可能とするためにいくつかの平面表現手法を意図的に用いている。「輪郭を明確にしない線や色の表現」「音楽的なリズム感の躍動感ある線の表現」「無意識から紡ぎ出した一筆書き的な生きた線」「リズムやハーモニーを意識した色彩表現」「マスキング液による空白の線描画」などのさまざまな手法を駆使している。それによって鑑賞者が参加する場や対話のための空白や間のある空間となる造形世界の創造を探求している。