「インタラクティブアートの世界」(1986)

- テクノロジーと芸術の織りなす環境美 -

インタラクティブアートの世界(1986)DM

コンセプトと企画内容

1986年春に東京の吉祥寺で「インタラクティブアートの世界」と題した展覧会を開催した。
1980年代前半から市川衛はインタラクティブアートというコンセプトを手探りで構想していた。
その考えに共鳴してくれた友人の戸賀崎隆一の協力を得て共同で企画し、4名の現代美術家の協力を得て実験的に開催したのが「インタラクティブアートの世界」展である。

1980年代前半において、Macintoshコンピュータが先駆的に提示したインタラクティブ・マルチメディアの世界にいち早く触れ、レーザーディスクの映像のマルチメディア・コンテンツを企画・研究していた市川衛は、インタラクティブ・マルチメディアの世界を芸術鵜の領域に適用できないか構想していた。そして、最初の実験的な試みとして「インタラクティブアートの世界」は企画された。

1980年代半ばは高度情報化時代への期待が高まり、ニューメディア・ブームが起きておた時代だった。INSなどのニューメディアの実験が三鷹で行われており、吉祥寺でダイヤモンドINSプラザという展示場が設けられていた。この会場の2階に期間限定で併設された無料ギャラリーが市民に開放されていたが、マルチメディアやインタラクティブの考え方を芸術に適用することを意図した実験的な企画展を開催する会場として最適だと判断して、実験展の会場として選んだ。

鑑賞者が主体的に対話できるようなインタラクティブな環境とはどのように実現できるかを考えた結果として、美術的な造形空間を鑑賞する環境の中で、従来の美術鑑賞の場とは異なる環境の意味合いの変化や、新たな形式の対話の可能性を探求する目的で、鑑賞奢の動きをセンサーで捉えて音楽や環境音をコンピュータでコントロールすることにした。

島木律、宮間利明、加藤恵美子、小林四一の4名の現代美術家の手による現代絵画・抽象オブジェ・幻想的装飾品など30点あまりの作品が渾然一体となった配置で構成された空間の中に、鑑賞者の動きを捉えるセンサーを4個配置した。市川衛の作曲した環境音楽が会場を常に包むように流れるが、2個のセンサーの情報によって音楽の表情や音量が変わるようにした。また2個のセンサーによってレーザーディスクをコントロールして鳥のさえずりのような環境音とその映像が会場に流れるようにした。また、時々シンセサイザーを演奏して環境に参加した。

このような実験的試みは、インタラクティブな対話を芸術にどう適合させうるかを検証するかが目的であった。人の存在を検知するセンサー情報だけでコントロールできる対話性に限界を感じつつも、鑑賞者と作品と作家の関係や、ジャンルの枠にとらわれない体験を重視した芸術の意味、視覚と聴覚を融合した環境の重要性などを考え直し、芸術においてのインタラクティブな対話とは何かを考えを深める重要な契機となった。

<付記>

当時すでに本格的なインタラクティブアート作品のシリーズに通じていく最初の音楽エンジンのアイデアの試作をしていたが、鑑賞者が直接リアルタイムに対話ができる芸術形式を実現することが重要だと考え、これが1989年から発表をスタートしたハイパーキーボード・シリーズへと繋がっていくことになった。

インタクティブアートという呼称は、当時は誰も使用していない言葉であった。インタラクティブな対話形式の芸術が、インタラクティブ・マルチメディアのエッセンスかから可能ではないかと独自に考えた結果、インタクティブアートという発想が生まれ、市川衛の独自のオリジナルのアートの呼称としてこれを使用していた。(私の知る限りインタラクティブアートという言葉を自覚的に用いて実践した最初の事例であり、インタラクティブ・アーチストを自称したのも世界で最初の一人であることはも間違いないであろう)

1990年前後からインタラクティブアートという言葉が少しずつ使用されるようになり一般的になっていったが、コンピュータで鑑賞奢の情報に反応しさえすればインタクティブアートであるというような風潮が強くなり、テクノロジーを利用しただけの芸術性の乏しい安っぽいアートだとさげすまれるような傾向も生じた。そうした傾向に懸念を感じてインタラクティブアートの理念と本質をインタラクティブアート宣言として理論化する必要性を感じ、独自のインタラクティブアートのコンセプトや本質を1994年に公表した。ちなみに現在は、テクノロジーを使用しないでも造形的な力だけでもインタラクティブアートを実現する造形インタラクティブというコンセプトにまで到っている。

現代に到ってようやくインタラクティブアートは市民権を得てきたようではあるが、それでも現状は私が目指してきたインタラクティブアートの本質とは大きな隔たりを感じている。インタラクティブアートがひとつの芸術として成熟するには依然として長い道のりが残されていると考えている。