ー 新たな形式のインタラクティブアート作品ととしてWEBサイト ー
人々は誰もが人生においてさまざまな選択をして生きている。そしてそれが、人それぞれの人生となり、人格と個性の歴史を形作っていく。
人はそれぞれが生まれて育った環境・境遇・世界を自己の外部から一方的に与えられた宿命として背負っている。それらは各々の人生の背景として多大な影響力があることは確かであるが、それに対してどのような対峙の仕方で生き様を描いていくかで、個々人の人生の意味は一変してしまう。
人生における所々の選択とは、単なる与えられた選択肢からの受動的な選択などではなく、それは人の魂の人格や成長具合を恐ろしいほどに如実に表現したものであると私は考える。
同じ過酷な状況に遭遇したとしても、ある人はそれを「単なる不運でしかない」とか「社会が悪いんだ」などのように受動的にしか受け取らない。自主的に目前の問題に立ち向かうことなく、与えられた状況に悪態をついたり諦めから不平不満ばかりが言っていては、ほとんど何も状況の改善は出来ないだろう。与えられた課題は何も解決することがないばかりか無限地獄のようにな苦悩へと悪化することもある。これが最悪なシナリオである。
しかし、ある人はそれをおのれの魂を鍛えるために人生で与えられた試練だと捉える。過酷な状況こそ自己変革の絶好機とすることが出来れば、最悪だと思えたことさえ感謝できる心構えとなり、そして自己を変えることで問題の状況さえも霧散させてしまうことも可能になるのである。これが最善のシナリオである。
人に物理的に同じ状況が与えられたとしても、魂が世界に向き合う仕方によっては精神的には180度違う結果となりうるのである。人々が物事や他者、社会、世界などに向き合いながら日々選択していることは単なるひとつの選択ではなく、その総体が己の魂の表現そのものなのである。
そのように考えてみれば、人生とは常にひとつながりの選択の連鎖であり、選択とは人生の生き様そのものに等しく、世界や他者との出会いであり、自己と向き合う場、自己発見の現場でもあるのだ。
以上の考察は奇しくも私のインタラクティブアートの理念の全く符合してしまう。インタラクティブの本質とは、与えられた現前の状況に人が向き合い自主的な行動や表現をする場や状況だと私は考えている。人生とはまさにすべての人が行っているインタラクティブアートだという解釈も十分に成立する。
人生における選択とは実はインタラクションそのものであり、自己の行動や表現なのであり、世界や他者と出会い、自己を発見していく積み重ねが魂が向き合う方向を決定づけるといえるだろう。
このサイトでは私自身が現在選択している具体的な事象を紹介していく。しかし、私自身の選択が必ずしも正しいなどということはありえない。この世界とはすべて情報によって成り立っており、間違った情報も正しい情報も玉石混淆に混在している。100%信頼できる情報というものはそもそもこの世に存在せず、何を自分が信じるかにつきるといってよい。
私は自己の成長のなかで魂の求める方向に流れに沿って、いくつもの失敗も重ねながら自分が必要だと直感出来るものを常に求め、大きな自己変革もしてきた。しかし、今信じているものも、違う情報や経験によって明日には違う選択をしている可能性は十分すぎるほどあるのだ。私は自分の人生においてそうした経験を大いにしてきた。
私の選択はインタラクティブアートと同じように私の魂の表現であり行動であり、体の中の細胞のひとつひとつのように全体の構成要素なのである。しかし、私は自分の選択を他人に押し売りする気は毛頭ない。押し売りの情報はほとんど洗脳と変わらず、私が目指すインタラクティブとはほど遠いものである。押し売りの表現行為や垂れ流しの自我表現は私自身は私の好むところではない。
私が選択する行為とは個人が行うインタラクティブ表現とほとんど変わらない行為である。そして選択という行為を通して人の生き方や魂の姿の一端を紹介することが、インタラクティブアートの表現形式のひとつになりうるのではないかと考え、インタラクティブアート作品のひとつとしてこのサイトを構築することを決意した。
以上の主旨からして、私の選択の結果のみが鵜呑みにされるのは全く本意ではない。また、上から目線の啓蒙などという目的も微塵も無い。
そして、他所から借りてきたような情報の受け売りを最小限に留め、選択の内容とそれを選択した理由を主として紹介することを表現の方針とした。そのようにした意図は、与えられるだけではなく自主的な行動として自らがつかみ取った情報でなければ本当の自分の選択にはならないことを私は熟知しているからである。
故にこのサイトの情報の何かに触発されて自分で調べて自分で納得して自分なりの選択という表現や行動をしてもらえることあるのであれば、インタラクティブ・アーティストとしては最もハッピーだというわけなのである。
自分が生きている情報そのものが芸術作品になるかもしれないという考え方には、表現者としては楽しさやワクワク感がある。実はそれが芸術行為全般の本質につながっているのかしれない。すべての人の人生がインタラクティブアートの実践だとしたら当たり前のことなのだけれども・・・
すべての人がインタラクティブに生きて欲しい、それが私の最大の願望である。
すべての人にとって人生そのものが実は常に成長を続けるインタラクティブアート作品だという位置づけもできる。
人生とは選択という行為を積み重ねることで制作し続ける芸術でもあったのである。
そう考えればどんな浮き世であってもすべてを前向きに捉えれば嬉し楽しに満ちた世界に感じて感謝さえすることができるような気持ちになれるのではないか。
私は歳を重ねるにつれ、だんだんそのような境地に近づき、人生のあらゆる事象を楽しめるようになってきた。歳をとるのもなかなか面白いものである。